介護のICT化時代に忘れてはならない「心」の話


2025.04.25 |投稿者:神内秀之介

現代の介護現場では、ICT(情報通信技術)の導入が進み、介護記録のデジタル化やAI技術を用いたケアの支援など、効率化が進んでいます。しかし、その一方で、「これからの介護は機械に置き換えられるのでは?」という不安や疑問を感じる人もいるかもしれません。こうした問いに対して、哲学者デカルトの視点が私たちに重要なヒントを与えてくれます。

デカルト:機械は心を持たない
デカルトは、「機械は心を持たないから、人間を超えることはない」と考えました。いくら精巧なロボットやAIが登場しても、それらは人間のように「感じる」ことはできません。コンピューターが行っているのは、データを整理し、ルールに従って処理を行うことに過ぎないからです。デカルトが言うように、「私は考える、故に我あり」という言葉は、人間が「考える存在」であり、「心」を持つ存在であることを強調しています。

ICTは道具であり、心を補完する存在
介護のICT化においても、コンピューターやAIは、あくまで「道具」であって「心を持つ存在」ではありません。例えば、介護記録のデジタル化やAIによる見守りシステムは、スタッフの負担を軽減し、業務を効率化する大きな助けになりますが、それだけで利用者さんの心のケアが完結するわけではありません。ICTは、あくまで人間の「心」を補完し、支援するための存在です。そしてその主役となるのは、やはり私たち介護者自身に他なりません。

精神と物体は別物――介護の本質を忘れない
デカルトは、人間の精神(心)と物体(身体)は全く異なる性質を持つと考えました。同じように、ICTや機械がどれだけ発展しても、「人と人との触れ合い」「心が通じ合うケア」という介護の本質的な部分は、機械には置き換えることができないのです。利用者さんが見せる小さな笑顔や感謝の言葉に気づき、寄り添う力は、心を持つ私たち人間だからこそできることです。

まとめ
介護のICT化が進む時代にあっても、デカルトの哲学が教えてくれるのは、「心を持つ人間の役割は永遠に変わらない」ということです。ICTはあくまで道具であり、私たちの仕事をサポートしてくれる存在です。その土台にあるのは、「人としての感性」や「相手を思う心」。これを忘れずに、テクノロジーと共存しながら、より良い介護を実現していきましょう。


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